バックれたアルバイトの体験談ブログ記事まとめ|私はこうして逃げ出した

【31歳男性:海の家のバイト】
私は20歳の頃に海の家でのアルバイトを経験したのですが、あまりの辛さと理不尽さに逃げ出してしまいました。

今振り返ると情けなかったとは思うものの、後悔はしていません。

もともと海の家で働くようになったのは、高校の頃の先輩に誘われたのがきっかけでした。

給料も良いし水着姿の若い女性とも出会えると、そんな言葉にとても胸躍らせたのを覚えています。

やった仕事としては、注文を取ることと料理を運ぶこと、そしてテーブルの後片付けをすることです。

覚悟はしていましたが実際に働いてみると休む暇などなく、出会いを期待するチャンスすらありません。

若いグループから家族連れまで好き好きに注文が飛び交い、ある意味戦場のような職場でした。

とはいえ、働き甲斐もその分大きかったです。

沢山汗をかきながら年齢の近い仲間と働く様は、まさに青春そのものでした。

だからこそ計20日間の仕事を任されていたのですが、序盤3日間くらいは何の問題もなかったです。

ところが仕事5日目くらいになってからは、もう全く余裕を持てなくなりました。

実は私と一緒に働いていた他のアルバイト仲間が、少しずつサボり始めたのです。

昨日は誰々が来ていなかったが今日は誰々が来ていないと、そうした語気の強い言葉が聞こえてくる度に雰囲気は悪くなっていきました。

恐らくは、休憩さえない職場に嫌気が差したのでしょう。

しかし急に新しい人員を補充できるわけがなく、そのシワ寄せは私や他の働き手が被ることになりました。

当初は1日3時間の予定で働いていたのですが、こうなるとそうも言ってはいられません。

気が付くと朝8時に現場へ行き、夜11時くらいに帰るという生活です。

まるでブラック企業に就職したような、そんな気分でした。

寝不足が続くと、注文の取り方や配膳を間違えることが増えたのを覚えています。

すると現場の責任者以上にお客さんから酷い怒られ方をして、何度も何度も落ち込んでしまいました。

やはり海の家ですから、少し怖そうな人やお酒に酔っている人もいるのです。

良いスタートを切れたはずのアルバイトでしたが、あっという間に行くのが辛い仕事へと変わっていったような気がします。

そして働き始めてから10日くらいが経った頃、私は無断欠勤をしてそれ以降現場へは行きませんでした。

つまりは、仕事から逃げ出したのです。

もともとこのアルバイトに誘ってくれた高校の先輩からは、その日頻繁に携帯電話へ連絡がありました。

ただ私はそれを無視し、これっきりで先輩との縁も切れたのは言うまでもありません。

とても怖くてどうなるのかと不安でしたが、それよりもあのまま海の家へ通う方が当時の私には苦痛でした。

その後の現場の様子は、全く知りません。

寧ろ私自身、この年になってもまだ海の家へ行くのに抵抗感があるほど、辛い経験となってしまっています。

きっと私が逃げ出した後の現場の方が何倍も大変だったのでしょうが、申し訳なさともう思い出したくない気持ちとで半々です。

勘違いしてほしくないのは、職場の人の人柄は全く悪いものではなかったということです。

その代わり若い人が多いので、その分忍耐力には乏しかったのかもしれません。

全員がアルバイトのようなものでしたから、軽い気持ちで仕事を請け負う人が多かったのも事実でしょう。

現場では頼りになる兄貴分な人とも出会えましたし、沢山お世話にもなりました。

性根から悪い人というのは、1人もいなかったと思います。

自分自身が逃げ出したことでこの人脈を繋げることができなかったのは、本当に情けなく残念でなりません。

お給料は日払いで、1日4000円でした。

ですがこれは3時間だけ働いていた序盤のことで、人手が足りなくなってからは1日1万円以上いただいていました。

10日で8万円ほど稼げたことを考えれば、20歳の学生にとっては大満足の収入でしょう。

以上のことから、今後海の家で働こうと考えている方にはまず重労働であることを把握しておいてください。

体力も気力もとてつもなく必要で、文字通り目が回る忙しさです。 現場が開放的な分、様々なお客さんも来ます。

皆さんお行儀良くというわけにはいきませんから、そうした部分への免疫も必要になってくるはずです。

私と同じように異性との出会いを期待してという方も多いでしょうが、目で楽しむ隙すらまともにありません。

また、数日だけお試しでというのも難しい仕事です。

体験や研修などもなくほぼぶっつけ本番になるため、ある程度の接客スキルは最初から求められます。

初めてのアルバイトに選ぶにはハードルが高いと思いますから、それなりに自信のある人のみ応募することをおすすめします。

仕事から逃げ出すことは、社会人になった今では考えられないことです。

苦い記憶が強いアルバイトでしたが、良い教訓にもなりました。

当時のあの経験を糧に、今ある自分の仕事をこれからもしっかり全うしていきたいです。
【30歳男性:帽子屋のバイト】
自分(男性)は25歳の時に帽子屋で働いていました。逃げ出した店舗を含めると3店舗を経験しました。

最初の2店舗は、接客中心ではなく作業中心のお店だったので接客はほぼしませんでした。

お客様が来たらレジでお会計をします。お客様が来ない時は、帽子が入荷されたらハンディをもって入荷作業をしたり店間移動の商品を送ったりします。

あとはPOPを書いたり、ラッピング袋が手作りだったので補充したりしました。

基本は好きな音楽をお店で流して良かったので、のんびり楽しみながら毎日の業務をこなしていました。

2店舗目を半年が経った時に、店長の上のエリアマネージャーからお声が掛かりました。

帽子屋で男性は珍しかったのと、安心してお店を任せることが出来るレベルになったので都内のお店に異動しないかと言われました。

自分は正直嫌でした。今のお店にずっと居たかったのです。

ですが、エリアマネージャーに向かって「NO」という答えはないだろうと思い「あ、はい。大丈夫です。」と答えました。

その後、近くに居た店長に「異動先の店長は女性だけど気が強いから気をつけて」と言われました。

また、異動先の都内の店舗は、2時間以上も掛かるということで、んなことも知らずに承諾してしまった自分はこの時点で(終わったな・・・)という思いでした。

その店舗になり、前の店舗のやり方のまま勤務を開始したので、初日1時間で「分からなかったり迷ってるなら聞いて!」と怒られました。

しかし、自分の中では分かっていましたし迷ってはいなかったのです。

その時点で店長と自分にズレがありました。いくら本気でやってもスローに見えるのか何をやっても怒られ続けます。

「作業しかやってない。接客行って!」と自分のタイミングがあるのに怒られ続けます。

3日目になると、陰口に変わりました。自分はその陰口を3日間ぐらい耐えていました。

怒られるのは良いですが、陰口がどうしても許せなかったのです。なので店長本人に言うことにしました。

そうしたら「怒りたいことが沢山あるから他の人に言って我慢をしてるんだ」と言い返されました。

もうこの時点で辞める気満々でした。最後に、「あなたの下でやっていくことは出来ません」と言うと、店長はエリアマネージャーに電話を掛けました。

電話を自分に渡されたので、エリアマネージャーに「こちらの店長のやり方に付いていけません。今日で自分を切って下さい。」と伝えました。

最後にその店長にも「色々言ってすいませんでした。でも、もう付いていけないので帰ります」と言って自宅へ帰りました。都内の新店舗5日目にして逃げました。

そこのお給料は1か月に11万円くらい貰っていました。面接時にはエリアマネージャーから給料は周りに比べ安いと伝えられました。

それでも、自分がずっとやってこれたのはスタッフの雰囲気が温かいからです。

最後の店舗以外は、みんながマイペースでのんびりしていた為、それが自分に合っていました。

帽子屋は接客メインで売る店舗、接客しなくても売れる店舗があります。

接客をメインでするということは、作業に時間が掛かってはダメなのです。やはり接客メインなので作業は後回しになります。

後回しの作業も、業務時間内で終わらせないといけないので、素早く動いて器用ではないとやっていけません。

接客をしたからといっても、売上に貢献できなければ意味が無いのです。もし帽子屋が華やかそうに見えるとしたら、ただ表面のごく一部しか見れていないので注意しましょう。

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